長い長い9日(前編)


2008年10月9日。
朝7時にホテルで目を覚ました、昨日は少しハードな一日で疲れていたので少し遅い朝だ。
この町はインドとの国境でカッカルビッタと言うそうだ。
のんびりと機材のチェックをして、荷物を整理する。
お腹がすいたな・・・ そういえば昨日の夜はパンとかバナナを食べただけだったしなぁ、
よし、とにかく腹ごしらえをしよう、急いだってしかたないんだし。
カメラと貴重品だけを持ってホテルを出る。
昨日バススタンドの近くでたくさんレストランや露店を見かけたのでバススタンドの付近まで行ってみた。
しかし、どこの店も営業している様子は無く活気が無かった。
食べ物を探しに40〜50分探し回りやっと小さな食堂を見つけて料理にありつけた。
チキンターリーを食べ、チャイを一杯飲む。



一度ホテルに戻って荷物を持ってチェックアウトしてすぐにバススタンドに向かった。
今日のルートは少し特殊なルートだ。
本来ならこのカッカルビッタから長距離バスを使い一気にジャナクプルという町まで行きたいのだが、
どうやら途中にあるコシ川にかかる橋が洪水で流されてしまい直通バスは運行していないらしい。
だからコシ川の少し手前までバスで行ってそこからボートで川を渡って、
その後またバスに乗ってジャナクプルに行くというわけだ。

まずバスでイタリーと言う町まで行く。
バスにゆられること2時間・・・
イタリーに着いた。
まぁ何の変化も無いそれなりに大きな町だ。
休憩をかねて食堂に入ってみる。
そんなにお腹はすいていなかったので簡単な揚げ物を食べた。



さてここから今度はラウキーという場所に行く。
店の人にバス亭の場所を聞いてバスに乗る。
バスの中でバスの車掌に『ジャナクプルを目指しているんだ』。
と、話をしていると隣に座っていた40〜50才くらいのオッチャンがジャナクプル?我々もそこに行くんだ。
っぽいジェスチャーをしてきた、オッチャンはとっても嬉しそうにしていた。
言葉はほとんど分からないがこのオッチャンについていけば何とかなるかも・・・。
オッチャンはジャナクプルの近くに家があってそこに帰る途中なんだとか、奥さんと一緒に。
奥さんは無口だけど凄くやさしくていい人だった。
しかし、橋が壊れてるからボートで渡るって、いったいどうなるんだか・・・

実はダージリンの宿で宿のオーナーに別のルートも聞いてみたんだが。
飛行機に乗れば170US$で行けると言っていた。
170ドルって・・・ 今円高か、ザクッと計算すると約1万7千円か・・・
無理な話じゃない。 でも貧乏人だし、かなりの痛手だ、それに何だか川をボートで渡るって面白そうだし。
と思って結構乗り気になっていた。
でもいざ行ってみると結構大変だ、と言うかガイドブックに乗っていない土地に来るといつもそうだが。
まったく英語が通用しない。 元々私はほとんど喋れないが、相手がまったく喋れないってのは結構怖い。
それにローカルバスを乗り継いで行くわけだが、どのバスに乗ればいいのかも分からないし、バス停の位置も分からない。
乗れたとしても本当にこのバスであっているのか?とか目的地に着いたらちゃんと降りられるだろうか?など。
分からない事が余りにも多い。

時々「海外に行ってもジェスチャーと日本語だけでいけたYO」
なんて事を聞いたりするけどもそれはあくまでガイドブックに乗っている町や観光地での話であって、
そういった場所から一歩でも外れてしまうともう全然それでは通用しなくなる。
そして山間部や田舎にいくと本当に簡単な英語すら通用しなくなる。

    


そんな事を考えている間にバスは目的地のラウキーに到着した。
てっきりラウキーは町だと思っていたのにバスから降りるとそこはかなりの田舎だった。
バスの周りに数人のリキシャワラーがいてバスの中でジャナクプルに行くと言っていたオッチャンが話しをしていた。
オッチャンは、『ここからコシ川まで彼らのリキシャで行くけども一緒に行こう』 と言っている、たぶん。
みんなで相乗りして料金を一人10ルピーにしたらみんなお得でラッキーだろ! っぽい事も言っているみたいだ。
10ルピーなら確かにお得かもしれないし一緒に乗っていくことにする。
ってか川を渡るまでこのオッチャンとは離れたくない、不安要素が多すぎるし。
リキシャにゆられながらもオッチャンといろいろ会話したが10%くらいしか理解出来なかった。
でもオッチャンは終始笑顔でとても好感が持てたし何だか楽しかった。
いい天気だし何とかなりそうだなと思った。

10分くらい走ったところでリキシャは止まった、そこには人がたくさんいた。
どうやらここがボートで川を渡るポイントのようだ。


リキシャワラーに10ルピーを払って川へ行って見る。
なるほど・・・
 『道路が、無いな』
ここをボートで渡るのか。
確かに木製の船が数艘人を乗せて対岸に渡しているな。 
文字どうり渡し舟と言ったところか。
それにしてもあの船はたぶんだけど、自信はないけど漁に使うやつだよな。
機動性重視タイプで転覆しやすいんじゃないだろうか・・・ 怖い。

万が一、船が転覆したら私のカメラはもちろんメディアストレージも壊れるな。
カメラが壊れたら大きな町で買えばいいがメディアストレージは壊れると今まで撮ってきたデータが無くなる。
コレだけは死守したいが、船が転覆したらもう駄目だろうな。
ま、ここまで来たんだし乗るしかないか。
覚悟を決めて船の方に行く。
オッチャンは一人10ルピーだと言っている。
まぁ安いもんだ、それで川を渡してくれるんならな。
船に乗り込むとその船は若干水が入り込んでいてお尻がぬれた。
まぁそれくらいドーって事はないんだがこの舟にいったい何人乗せる気だ? もう定員オーバーだろう・・・。
船が岸から離れると船は大きく傾いた。
『おおお、ひっくり返る』
 みんなで重心移動して持ちこたえる。
『なるほど、みんな協力しないとひっくり返るね、これ』
船に乗りながらさっきまでいた対岸を眺めて思う。
『道路を破壊するっていったいどんな洪水だったんだろう・・・』


↑船の奥で座っている2人がオッチャンとその奥さん、オッチャンは白いシャツを着てて奥さんは緑のカバンを抱えている

↑隣の船もかなり人を乗せている、舟がかなり沈みこんでいるのが分かる。

機材がぬれるのも心配だったけど転覆したらどうしようも無いからもう無遠慮にシャッターを切った。
そして船は無事に対岸に着いた。
よかった、渡れた。
一番心配していた部分を乗り越えた。
船の船頭に10ルピーを支払ったらまた対岸で待機していたリキシャーに乗るっぽいジェスチャー。
まぁ何にも無い場所だしコレに乗るしか無い訳か、それにしてもここからどこに行ったらいいんだろうか。
船で川を渡る事しか考えていなかったので渡った後の事はまったく考えていなかった。
ま、とにかくオッチャンについていくしかないか。
リキシャにのってまっすぐな道をゆっくり走る。
オッチャン曰く、、、
この辺り一帯は洪水で壊滅的なダメージがあったそうで凄い数の人が死んだ。
そして周りを見渡すと洪水にのまれて壊滅的な被害にあった家が点在していて、みんな洪水にやられたんだ、
とオッチャンは凄い笑顔で言った。
『いや、あんた笑い事じゃねーだろうが』と思ったがまぁそれだけ凄い洪水だったんだろう。
周りを見渡すと完全に水没している家もあるしたぶん大半の家が流されて無くなっているんだなと思った。

後で調べて分かった事だがこのコシ川の氾濫で約403万7千人もの人々が被害にあったそうで
この川の氾濫が凄い規模だったんだと思った。
ネパールではこの50年の間で最も被害が大きい洪水だったそうだ。
そして今洪水の二次災害ともいえる疫病の可能性もではじめていて一部の地域では深刻化してきているそうだ。
ダージリンで「何だか川をボートで渡るって面白そうだし。」と思った事を凄く申し訳ない事だと思った。

ついでにもう一つ言うとナショナルジオグラフィックの記事によると、洪水でコシ川の流れは完全に変わったとあった。
衛星写真があったので添付しておく。
↓左の写真が洪水後、右が洪水前。

流れが変わったと言うより同じ場所の写真とは思えない、、、




どこまでも続く青い空と道、気温も湿度も理想的だったけどまわりの風景は洪水により壊滅的なダメージを負った村だ。
各地に難民キャンプのようなテントの集団がある。
「難民キャンプのような・・・」 いや、ようなでは無く難民キャンプだ。
軍から支給されたテントで生活している人々は洪水で残った家から使えそうな物を集めたりその日に食べるための魚を捕まえたりと忙しそうだ。
「大変だなぁ」と人事のように考えていたけどよく考えると、今自分のいる位置も分からずどこに向かっているのかもよく分からない、今日のホテルも夕食もどうなるかまったく分からない。
とにかく目的地はジャナクプルでそこを目指していることだけははっきりしていた。


しばらくリキシャにゆられて風景を眺めていたが、リキシャはすぐに停まった。
おっちゃんは、「ここでまた川を渡る」 っぽい事を言っている。

『え? 洪水で流された箇所はさっきボートで渡ったじゃん』
 
と思って前を見るとまた大きく道路がえぐられ無くなっている。
なるほど、さっきの場所だけじゃなかったのか。
そりゃバスが通行不能になるくらいの大洪水だもの、小さなボートで渡れるほどこの国は甘くないか・・・

リキシャのおじさんに10ルピーをわたしてまた同じような木の船に乗り込んだ。
う〜ん、やっぱり怖いものだなぁ。

DPP_20138_R.jpg

今度も無事に対岸まで渡れた、船乗りに10ルピーを支払いまた対岸で待機してたリキシャに乗る。
 『さて、今度はどこに行くんだ?』

しばらくリキシャに乗ってまた停まった、そしてやはり洪水で道路が壊れていた。
 今度の川渡りが最後っぽい、が・・・
どうなることやら。
それから何度も10ルピーを支払うもんだから小金が無くなってしまいそうだ。
こういう事態に備えて小金は備蓄していたが、こうもたて続けに小金を消費するとさすがに無くなる。
ここに来る前にバスや食堂でけっこう使ってしまっていたし。


この国で旅行をする場合、小金が必要になる。
たとえば5ルピーでお茶を飲んで100ルピー紙幣で払ったら大体においてお釣りが帰ってこないのだ。
だから上手いこと考えてお金を使って小金をためておく事が結構重要なのだ、特に田舎なんかに行くと本当に小額のお金が必要。

そんな事を考えながら船に乗り込む、 一日で3回も木製の船に乗ることになるなんて・・・
 船は対岸の道路に向かうのかと思いきや斜め向かいの対岸へ進み浅瀬に停まった。
『ここからは歩きだ』
と言われて仕方なく船から下りる。

目の前はただひたすら広い砂浜のような風景。
何とも現実離れした風景だ。

DPP_20142_R.jpg

おそらく洪水で出来た地形だろうなぁ、なんて事を考えながら歩いた。
それにしてもいったいここはどこなんだろう・・・?

何とも言えない広い風景を見ながらどこまでも歩く。
途中で浅瀬なんかも歩いて渡る、水が冷たくってきもちいい。
靴も脱いでしまって裸足で歩くってのはなかなかいいものだ。
しばらく歩いていると後ろからバイクに乗った兄ちゃんが爆走してくる、 
 『おお凄い!!』
とにかく写真を撮りまくってやった。

それにしても、兄ちゃんあのバイク木の船に乗せて来たんだろうか・・・
凄いな・・・

さらにしばらく歩いて行くと何やら人だかりが出来ている所についた。
ここからまた船に乗って川を渡るようだ。
しかし今度は小さい木船で渡れるような幅ではなくって対岸ははるかかなたに見える。
で、よく確認してみると軍隊が出てきていて軍用のボートで川を渡しているようだ。
なるほど。 軍隊様様だな。
 で、一緒に来ていたおっちゃんたちと順番待ちをしていると軍の人が声をかけてきた。
『ツーリストの人はこっちに来な』
っぽい事を言っている。
 まぁツーリストなんて私以外いないわけだがとりあえず行ってみる。 
どうやら外国人は優遇されているようで順番待ち無しで船に乗れるそうだ、何でかまったく分からないが・・・
しかし嬉しいんだけど一緒に来ていたオッチャンより先に対岸に渡されてしまう、 でも何か軍の人「コッチコイ」っぽい事をしきりにやってくるから仕方ないか。
地元の人には申し訳ないが先にボートに乗せてもらうことにした。
エンジン付きの簡易ボートだけど安定感抜群で結構スピードも出る。 ただ軍関係なんで写真は撮らなかった、後でもめるのもイヤなので。
さすがガンジス川の支流だけあって超絶に大きな川幅だ、今までの船渡しとはわけが違う。
そりゃ復旧なんてすぐには出来ないわなぁ・・・ バスも止まるわ・・・

無事対岸までたどり着いたけども一緒に行動していたオッチャンが渡ってくるまで待つことにした。
この後どうしたら先に進めるのかまったく分からなかったし・・・

そう。 川を渡る所が最大の難所だと思っていたけども、実は川を渡り始めた頃から川渡りは何とかなるだろうと思っていた。
でも渡った後どうやってジャナクプルに向かったらいいのか分からないしもうお昼の3時だ、今日中にジャナクプルに到着するのは不可能で宿をどうするかと食事と水の確保をどうするかが凄く不安になってきた
辺りを見渡しても川と洪水で壊滅した大地しか見えない、もちろん露店も出てないし車も走ってない。

 ・・・どうしよう。

そしてオッチャンを待つこと1時間、オッチャンは超ご機嫌で、『さ、歩くぞ』 と張り切って歩き出した。
道は一本しかなく歩く以外には無いみたいだ・・・

  


後編へつづく。



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